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メモランダム/チーズとうじ虫

7/28に久しぶりの踊りの会「塊に、転がす」をおえて。
鈍い光の空間、光の反映の空間のなかで、流れてしまわないで、でも閉じてしまうのでもないありかたをおいかける。背骨が支えたりkeepしていたりというのではない、両方向にずっと伸びて「ゆこう」としているベクトルでいるようにということ。その「方向力」みたいなものが、大切なような気がする。また、生理とつなげた「呼吸のような」ひとつにながれる感覚で「そのとき」を測っていくのではなく、肋骨や胸や、左右それぞれの手(hand)、足(foot)でそれぞれが「そのとき」を測っているような感じであるように、そして目、見ていることでも。動いているさなかの意識の質、静かさみたいなものがだいぶ変わってくる気がする。

ヨガは自分に向いてるらしく、具体的なからだのことで、ヨガをしているときに気付くこと、気付かされることが多い。先の背骨-ベクトルのことや目、見ているということの質の部分でも。

Adho Mukha Svanasana(下向きの犬)で腰を脚のほうにつなぎおろす(といっても高く上に向かうのだけど)ように受けたサポート。
Urdhva Mukha Svanasana(上向きの犬)での「支えている」のともkeepしているのとも違う、からだの中から張力がひろがっていくような感覚。

「チーズとうじ虫」というドキュメンタリー映画のことを友人に教えてもらい、今朝見に行く。東中野のポレポレ坐でのモーニングショー。今日が最終日だったので、加藤治代監督の挨拶も。
母親の病気、入院と死去、そしてそのあとの生活~を母、祖母、監督自身という家族(と兄の家族と)にビデオカメラを向けて撮っている。
「カメラを向ける-距離感の密度を詰める」というのとも違って、もちろん対象として観察、突き放して見ているというのでもなく、「空気というやわらかい一枚の皮膚のようなものを間にはさんでの隣りあい」というような距離感。「問う」というのではなくて、「聞いてみる」というような距離感。見ていて、加藤監督がとっている、選んでる距離感に共感して。

ひまわりにとまって蜜を力一杯吸っているアゲハも肥料用の残飯溜の中のうじ虫も同じようにうごいている。

母のことを撮ったビデオを亡くなったあと、祖母と監督が見ている。

撮られた映像、画だけではなくて、どんな空気を着るようにこのひとたちのなかで生活が時間になっていくのか感じられてくるような、そのことが作品になっているような映画のような感じがする。
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