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メモランダム'05.3-1

1)もう大分経ってしまってからの、思い出して、の記事なのですが、先日上村松園、松篁、淳之の展覧会を友人と観に行きました。千葉佐倉にある川上記念美術館にて。上村松園は宮尾登美子の「序の舞」のモデルにもなっている日本画家で、松篁はその子供、淳之(あつし)は孫にあたる日本画家です。松園はいくつかの美人画などを本で見たことがあったのですが、松篁、淳之の画を見るのははじめてでした。

松園の「楊貴妃」(大正11)は楊貴妃とその髪を整えている侍女を題材とした画。衝立、人のいる空間、重ね着られた衣、御簾、外の庭、そしてそこから吹き込んでくる風の気配・・。何層にもわかれて、でも空気、陽の粒子は通り抜けていく幾層ものつながっている空間、陰。そして匂い立つようなひと、白い肌。髪。同じく展示されていたこの絵の下絵とともに息をのむようなものでした。優雅な気配の画のなかになにかせまる「精神力」のようなものが幾重にも折り畳まれているような。「花見」(明治43)もとても美しく、というか立ち上る「匂い」(白く、でも灰のように冷たさも感じるような肌からの・・・)のような感覚にとらわれます。当たり前ですが、印刷物でみるのと実際に目にするのとは全く違い(日本画は余計そうなのかもしれない、とも思いましたが)本物をみないと、と思いました。印刷されたものでみる「美しさ」と、肌合いの奥行きのようなものも感じるような「美しさ」とはやはり別のもので、『目で「触れる」』とでもいうような感じのようにも思います。

松園もすごかったのですが、自分の感覚的な部分にうったえてきたのは松篁のほうでした。ジャンル、題材というと「花鳥画」ということになるのでしょうが、描かれている花、鳥の美しさという以上に、ふっと浮力がはたらいた瞬間に今にも沈んでいきそうな、そしてこちらに倒れかかってきそうな、不思議な重力感覚、垂直感覚におそわれます。浮遊感と重力感の入れ替わる瞬間のような。感覚の平衡さがどこか狂う一瞬のような、コップに注がれた、表面張力で張っている水面がふわっと立てられた一瞬のような。浮き上がりつつあることと沈むことが同時に起きる瞬間のあわいのような・・。「春園鳥語」(昭和4)、「春雪」(昭和57)、「水温む」(昭和63)、「緋桃」(昭和45
)、「花」(昭和53)・・、と・・・。画集などで知るより先に実物で知ることができ、よい出会いだったと思います。

2)先週の「からだの作業場」ワークでのこと、です。

二人組で、一人がうつぶせになり声をだして、一人が背中e.t.c.をパーカッションのようにたたいたり揺すったりして緩めていく、というようなワークをよくやります。発声することによってからだに振動が起き、それと叩いてもらうことからくる振動が重なって、一人で緩めるのとはちがう感覚、体温も少し上がるようなそんな感覚を味わったりします。叩かれているところに声を響かせてみようとか、いろいろやっているなかでアプローチができてきます。

そのようなワークをしていて、ふとひらめき、やってみたことがあります。「声を出す」とき意識しないと(叩かれているポイントに声を響かそう、とはしても)発声元(?)は普通に「喉」からだったりします。それは当たり前かもしれません。声帯は喉にあるのだから。で、ここでちょっと考え方を変えて、声帯が胸、胸郭だとイメージしてみます。胸郭の中の空間全体が声帯だというような感じかもしれません。喉、頸部はただの息、声の「通り道」で・・。多分このくらいの感覚的変化は、イメージしてみれば「ふっ」と変わることができるようなくらいのことなのでは、と思います。

やってみると「大違い!」に驚くのでは、と思うのですが意識しないときと「胸郭声帯」のときと、上体全体の響き、「鳴り」が全くちがいます(笑)。「?!」というくらい。胸部の「空間」だけでなく、肋骨まで響いて振動しているのが感じられるのではないかと思います。

これはでも、「腹から声を出す」、「腹をつかって声を出す」というようなニュアンスでの「胸から声を出す」、というのとは違うことのように思います。「腹に力を」とか「腹に息をいれて」と同じような感じで「胸に力を」とか「胸に息をいれて」というのとは違って「発声震動元」(?)を胸空間にするというような感じなのですね、きっと。

これはもちろん人に叩いてもらってないでもできます(笑)。うつぶせのほうが床と肋骨が触れている分振動を感じやすく、つかみやすいかもしれません。でももちろんうつぶせでなくてもできるわけで、立っていて普通に話したり声を出したりというときでも少しとらえずらいかもしれないけれど、できるはずのこと、おきるはずの感覚だと思います。
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