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まだまだ「看護のための精神医学」

まだまだゆっくり読んでいます、「看護のための精神医学」です。
そこで「複数のもの、ことが共にあることがふつうのこと」で、「よい方向へうごいていくために必要かもしれないこと」を選び、からだ、「抱えかた」で空気のふくらみのようななにかを整流する。そしてそれは「いること」の共同作業でもあって・・・。やはり踊り、ダンスといったことのなにかに触れる、リンクすることがたくさん言葉にされているように感じます。
以下、また、本文より引用です。


「30分面接しなければワルイ」とか「親切に話を聞いてあげなくては、よい看護ではないもの」と医療者が思わぬことである。そういう考えは一般に「自分と接していることが患者に有益である」というたいへんな思い上がりである。
「指1本たてて微笑してさらりと別れる」ほうがずっと「信」を贈ったことになる場合が、人生にも医療にもずいぶんある。(p.231)


「医療はすべて人体実験である」という考えにたいして一言しておく。「医療は未知数を含む状況にたいして悪化の危険を最小に、状況の改善を最大にするようにおこなう、患者と医療者の共同作業である」と筆者は思う。実験的要素はそれに一面から光をあてたにすぎない。(p.233)


「患者が変わる」のであって、医療者が患者を変えるのではない。医療者は「患者が変わるの際の変化を円滑にし方向の発見をたすける触媒」、できるならばあまり害のない「よき触媒」であろうと願うのがゆるされる限度であると筆者は思う。(p233)


ある医師が、ある老人施設で痴呆性老人の身体看護は満点だが何かが足りないと感じた。彼はいまは何も口をきかない老人たちの生涯を調べて、看護詰所で語った。「この人は、障害児を育て上げた人です」「この人はガダルカナル島の戦いに生き残った人です」というように。
そうすると、いつの間にか空気が変わって、人間にたいする看護らしくなったという(p.257)


この患者は自殺しかないのでは、という患者からくる否定的な「暗い風」に圧倒されないことである。そういうときに、「あなたが自殺せずに生きつづけているのは喜ばしい奇跡だよ」とこころのなかでつぶやくのは自殺防止になる。このつぶやきは顔にでる。患者は治療者の顔色に敏感である。(p.211)


決して都合のいいように読み替えてつなげているのではないと思います。こういうことにつながるなにかを考えてみたり、そういうときの身体感覚やからだに立ちのぼってくる感情、こころを動いているときのからだに羽織らせてみて観察してみるのは、「表現」をつくること、「表現のようにする」こと、よりも大事かもしれないなにかをはらんでいるような気がします。
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