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「光の風と重さ(誰も知らない)」

昨日、タテタカコさんのライブ、今日は「もと」の映画、「誰も知らない」(是枝裕和監督)を見に行く。以前偶然見に行ったのが水曜(映画が1000 円で見れる日)だったので、夕方の会に行っても、夜の会の分まですべて整理券発行済みで、見ることができなかった。ようやく見れたのだけど、10分前に駆け込みでは、最前列見上げの席しか空いていなくて残念。でも、始まってしまえばそんなことなど気になることもなく引き込まれる。

予告編で見たときも思ったけれど、ひかりがもっている軽さ、重さが風のようにはねる感じがする。それぞれの人たちと、そこにある世界をつなぐもの、なにかを確認するために触れられるもの。アポロチョコだったり、マニキュアであったり、運んでいくスーツケースだったり。そしてそれは「もの」だけでなく、見守っている人であったりもする。はからずも「世界」との間に立ってあげている人。

そとに出ていこうと、走るこどもたち。そのときのまわりの空気にはきっと光の色もあり、重さもあって。

子供たちは外にたすけてもらうことよりも、(たすけてももらっているのだけれど)自分たちが一緒にいることを選ぶ。ひとりひとりになってたすけられていきていくことよりも、一緒にいてやっていかないと、ということを、えらぶ。一緒にいて、外を見る目。でもそれはたくましさのようなものよりも、「皮膚でするつなわたり」(?)のようなものに近くて。「肌合い」のようなもので、近しい人を感じて、受け入れて。

「自分の手でする」しかないことで、でも、そのためには(その、自分のためには)「ひとりで」ではなく「見ていて、ともにしてくれる人」が必要で。

つづいていくしかない、つづけていくしかない(それは自分たちのためでもあるし、ひょっとしたら「出ていったひとのための居場所」のためなのかもしれないけれど)からそれでもならんで立って歩くような。

こんな書き方ではぜんぜん映画の説明(する気もあまりないけれど・・・)になってないのですが・・・。「なんのこっちゃ」という感じかと思うけれど。

映画のあと、神田橋條治さんの「精神科養生のコツ」(岩崎学術出版社)を見つけて買う。ワークなどにもとてもつながることが、そしておそらく「当たり前」にちかいようなことが書いてあるような予感がします。
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