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2005年07月

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武相荘

友人のねこみみさんのブログ「静かな裏庭」での記事に触発?され、白州次郎、正子の住まいであった武相荘に行って来ました。小田急線鶴川から徒歩10数分のところにあります。今は二人の愛用のガラス器などを展示しています。

ガラスの引き戸を開けて靴を脱いで上がる展示室(というか家の中なので・・・)に入るとき、つい「おじゃまします」とか「ごめんください」とか口にしてしまいそうな自分がいます。サッシではなく木の「さん」のガラス戸を開ける記憶、感触って自分には残っているのだなと思いました。がらがら、という音と重さ感と、腕に伝わるリズムのようなもの。腰や肩や手首の感触。木の柱につい触って手触りと垂直を確かめているような感覚・・。喫茶室の床には黒色の栗の木の切り株が埋められ模様になっていて、黒色の木版画のように感じられます。

ガラスのショットグラスとお香を買って。蝉の声が薄く空にかぶっていました。

軸を残して息に捨てる

「軸を残して息に捨てる」などというと、とてもかっこいいことに聞こえますが、全然そうではないのですが・・。

ヨガのレッスンのなかで、ポーズをkeepしながら呼吸を続けていったりということをします。ポーズを保つなかで吸う息でからだの中が拡がり、(内面張力?で伸び・・)吐くときにからだの中が沈みゆるみおりていく、というような感覚になっているような気がします。その「沈みゆるみおりていく」ときに、自分のありよう、感じ方、変化、気持ちのうごき等々に添うように観察、というか「みている」のが面白いです。からだは簡単に柔らかくなったりという「変化」はするわけではないけれど、そこでいろいろな「動き」や「変化」が「うごいて」いるのは感じ取れる・・・・。息を吐いているときにかたちをキープしているもの自体は保つけれど「自分のコントロールを放していく」(コントロールしよう、とすることを放すこと・・かもしれません)と言う感じなんだろうと思います。

たとえばそのときにコントロールをはずしつつ、(このあたりから自分のワーク側へつなげてみようとすると)でも、「そのときに『からだのここ』をずっと感じていて!」というように意識をつないでおくことはからだの実感を味わうときにおもしろいのではないのかなと思います。腎臓に意識をもっていってみつめていたときと、心臓に意識をもっていってみつめていたときと、下腹部のうちの腸というまとまりを意識してみつめていたときと、きっとそこで感じること、浮かんでくることは違うはずで。

読んだもの
梨木香歩著「裏庭」(新潮文庫):「からくりからくさ」を読んで以来、勝手にどこか信をあずけて読んでいるのですが、「裏庭」も・・・。

ちえの木の実

先日、渋谷でクリパル・ヨガを終えてから青山一丁目の「Spiritual Book Club Kai」(サイドバーリンクにもある書店です)まで歩こうと思い渋谷駅から青山通りに入った辺りで、通りに面したガラス窓からおもちゃや絵本が並ぶ書店をみつけました。「子どものためのセレクト・ブックショップ ちえの木の実」です。

お店のなかに足を踏み入れると、木の匂いに迎えられます。テーブル、床、本棚の木の匂い。開放的な吹き抜けの、光が入るスペース。絵本や子どものための本だけではなくそだてる側のおかあさん、おとうさんにとっての興味、気づきを広げてくれそうな本、教育の本などもえらばれてあります。シュタイナー教育などでつかわれるものか、ちいさい鉄琴や木琴のような楽器も。

三宮麻由子著の「いのちの音が聞こえる」(海竜社)を見つけて、買って。

お店の案内はこちら「絵本とおもちゃで子育て、孫育て ユウchan」のホームページの中に。

kripalu yoga

「自分のからだからはみ出さない」ことや「つながり感覚」、「グラウンディング」といったものをとらえなおしてみたいと思いヨガに通い始めています。今は「ヨガ・ブーム」らしくいろんな名前のヨガが沢山あります。「パワー・ヨガ」とか・・。「ハタ・ヨガ」、「クンダリニー・ヨガ」という分類くらいは知識として少しあったものの、「パワー」ってなんだろう(笑)とか、不思議な感じもします。

雑誌、ホームページなどいろいろ調べてみて「クリパル・ヨガ」というものをやっているスタジオに行ってみることに。「動き」や「ポーズ」をできるようにするというようなことというより、ヨガをとおして自分の今のありようにからだをとおして気づき、「そこ」に呼吸をとおして入っていくことによってまた、「自分のからだ、ありようがすこしづつはじまっていく」というような志向のヨガのように感じます。「体操」のような感じとも「求道」というのともまた少し違う(といっても私は他のヨガをしたことがないので知りませんが)気配です。

クリパル・ヨガスタジオ主宰の三浦徒志郎さんの「クリパル・ヨガ実践編」「ヨガ・ポーズ入門」、斉藤千代子さんの「クリパル・ヨガ実践編」のクラスをいままでに。呼吸を丁寧に体感しながら、自分のからだの重さや、中の変化に自分を委ねて観察、味わっていくことによって、また、ひとつひとつのポーズ、動きのあいだに起こっている感覚、状態のうつりかわりのうちにたちどまりつついることから、「?」というようなからだのなかのひろがりがおきてくる感じにつながるときがあります。

自分のからだの中に呼吸がとおっているというような感じから、ふっと呼吸の波というか呼吸のなかに自分がいるような感覚になったり、胸が左右まんなかと三つにすっと分かれた感覚になった瞬間に呼吸と股関節、足がつながった感じが起こったりします。

自分にとってのなにかベーシックのもののひとつになるかもしれないという予感があります。

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