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2005年05月

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「共に」(癌と心理療法)

内科医の岸本寛史(のりふみ)さんの「癌と心理療法」(誠信書房)という本を読んでいます。題名から想像しがちなような「癌にこれだけ心理療法が効果があります」といったような本ではありません。心理療法によって医学的な意味で癌を「治療」したり「延命」を図るのが目的ではないと書かれています。

癌患者さんは感覚が張りつめ鋭敏になってその世界のあらわれかたは「異界」のように感じられ、その「異界」たいしての認識もなしに不用意に日常的な意識で接してしまうと思いがけないところで行き違いが生じこころが離れてしまうことになりかねないと、岸本さんは言います。患者さんの一言に対する治療者の聞き方ひとつで関係が深まったり切れたりすると。(患者さんがそのひとの「いること」を抱えられているか、離されているかと感じ取っているかは、感じている「体験」のうえでは大きいことなのだと思います。)また、「異界」にいる患者さんと共にいるためには治療者側に相当の覚悟と意識の水準の変換が要求されるとも書いています。

「癌患者さんに心理療法をする」のではなく「癌患者さんに心理療法的に接する」こと。話されることばや身体的な所見だけでなく、描かれた画や見た夢といったものにあらわれでているように感じられる無意識や「なかのちから」のようなものに耳を(いることを?)傾けていくことからのかかわり。そのかかわりは岸本さん自身にも目をむけさせ、変わり、試され・・という体験でもあって。

癌と心理療法

「春になったら苺を摘みに」

ある人の本を読み自分のどこかに強く響くところがあるとそのあと何冊か、そのひとの本を読み続けてしまいます。先の記事にもすこし書いたのですが、今は梨木香歩さん。「りかさん」でどこかひっかかり、その次に読んだ「からくりからくさ」で基本的ななにかを信じた(?)風が吹いたように感じてからは、もっぱら彼女のものを読み続けています。小説作品だけではなくエッセイも。「ぐるりのこと」を読み、2002年刊の「春になったら苺を摘みに」を読み終えたところです。

もう何年も前のことだけれど、TVで題材をあたえられ、それについて賛成か反対かに組分けされて討論する番組がありました。記憶違いもあるかもしれないのですが、当人の実際の考えとは関係なく便宜上の組分けに合わせた意見で相手方を討論で言い負かす、というようなものだったような。とても嫌いだったのを覚えています。自分がどう感じているか、ということと関係なく、言い負かしてあいてに勝つことのために組織されている討論、会話。(これからの裁判制度のことなども少し思ったりしますが・・・。)

「ディベイトという名のスポーツを私は信じない」ということばを『春になったら苺を摘みに』のなかに読んでとてもうなずくものがありました。

また、もうひとつ。「理解はできないが受け容れる。ということを観念上のものだけにしない、ということ」も。あたまではそのつもりになりやすいけれど。

五月通信(1)

昨日、今日と寒い日が続いています。また更新があいてしまいましたが・・。

水曜日に右下の親知らずを一時間かけて抜いて、まだ、あめ玉二つくらい舐めてるみたいに腫れています。生え方がおかしかったみたいで、「ここではむずかしいかも」ということでかかりつけ歯科医さんの紹介で某大学病院へ。痛みはかなりおさまってはいるのですがものを噛むことじたいがしずらい状態のため「食べる」ことじたいがストレスになります。顎を動かすと腫れている側の歯がどうしても肉をすこし噛んでしまうため(これは縫い方がわるいんじゃないかとも疑うのですが)腫れていない方の側で食べよう、噛もうとしても(顎は左右つながっているので、当たり前か・・・)どうしても自分の肉を噛んでしまい、ちゃんと噛むことができないのです。大丈夫なんだろうか・・。おまけに口があきずらいのと右口腔が自由がきかないので話すと発音がおかしく舌足らずのようになって・・笑えます。抜歯のせいか(顎の骨から歯を強制脱臼させるわけなので、当然だとも思いますが)リンパ腺もはれてるみたいで喉がいたい。でも今の麻酔は効きがいいのですね、術中はほとんど大変な痛みとかはありませんでした。これもおどろき。

ちょうど、歯を抜く前日、最近知り合ったある踊り手さんからの紹介でクロッキーモデルの仕事をはじめてやりました。止まっているだけのモデルさんではなく動くからだを描きたいという趣旨であつまったクロッキーの会のようです。なんとなく勝手に思っていったイメージで、「動いているなかで、いいポーズ、ポジションがくるのを待って描くのだろう」と思っていたのですがそうではなくて(!?)。スタートの合図で動き出したとたん周りを取り囲む人たちの鉛筆、コンテの音が走り出す・・。ほんとうにその瞬間は「?!」でした。でもその囲んで描いている人たちの集中速度感がどこかこちらにも作用するのでしょう、こちらの集中も引き出されて面白い時間だったように思います。でも、一体描いている人は「動き」を描きたいのか、「身体」を描きたいのか、「かたち」を描きとめたいのかなんなんだろうというのは、やっているあいだも不思議で(描いている方それぞれで様々なのかもしれませんが)「このひとたちは何をみてるんだろうなあ」ということを思いながらの2時間でした。

最近ずっと梨木香歩さんの小説やエッセイを読んでいます。「からくりからくさ」というようなタイトルの語感、木鈴の響きのような音感がなぜか気になり、数冊文庫を買ったのがはじまりで・・。それまで全く読んだことがなかったのですが「本屋さんが選ぶ新潮文庫アンケートNo.1」などになっている方のようです。
「りかさん」「からくりからくさ」「エンジェル エンジェル エンジェル」「西の魔女が死んだ」(以上、新潮文庫)、「丹生都比売(におつひめ)」(原生林刊)、「ぐるりのこと」「春になったら苺を摘みに」(新潮社)
染色、機織りといった手仕事、手で触れることや、身にひきつけてつくり育むこと、地面や樹々、風の匂いのあいだを歩くことというような「身のたけから離れないで見つめ、触覚する、そこに連綿とつづいていくいきること、いきづくことの気配」とでもいうようなものの「ベーシックさ」への夢のようなものを感じてひかれます。草木や、陽、季節の匂いを渡る風のように。
「からくりからくさ」、「丹生都比売(におつひめ)」が特に好きで。

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