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2004年05月

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「自己責任の流通」(2004.5.6)

5/3だったか、朝の報道番組で今井さん、郡山さんの記者会見の様子や郡山さんのインタビューをやっていた。
自分の言葉で(三人の方たちは日本では「セット」のイメージであつかわれたけれど、活動としての立場、仕事はそれぞれ個別であったということなどを)しっかり今井さん、郡山さんは話そうとされていたように思う。
ドバイでの警察の取り調べのこと、拘束されていたときの様子、撮影時の様子など。
精神的な部分に関してのことは、ドバイでの取り調べでのことが大きかったと言われていた。
「自作自演だったのではないか?」とか「そういうけど本当はこうなんじゃないの?」とかストーリーをというか、向こう側の言葉に内容を引き寄せようとする。

個人的には最初の「解放をする予定」というニュースがアルジャジーラを駆けめぐった後ぐらいから自分の仕事場関係の人たちの口からも「こんな状況なのに行ってるんだから自己責任なんだから、こんなんに何億もおれたちの税金がつかわれていいんか?」と多弁されていたのに驚いた。
「人ごと」に対してひとは便利に自分の都合をいうことができてしまう。それは「意見」の形を身にまとわせた暴力に近いと思う。
こうやって言葉は流通していくのだなと、「言えてしまうということを利用して言葉の空間は誰かにつくられていってしまう」のだなと思った。

自分でそこを調べていないのだけれど、きっとある報道関係者か、政府関係者かだれかが、「自己責任」ということばを今回のことにあてはめ利用するために最初の流通の「きっかけ」をつくったはず。
同時にそのために詳しく「そのためにチャーター便e.t.c.の、本来かからなかったであろう費用がこれだけかかり、それはこのひとたちせいなのだ」と流したひとがいるはずだと。

「反日分子」とか言った人もいましたね。彼らが「反日分子」であるかどうかはどうでもいい、というかそこで「反日分子」などという単語が出てくること自体が謎なのだが、政府や政体の意向と意義を唱え(もしくは無関係に、別のところに活動の基準を持って)活動行動すること自体は善し悪しの範疇ではないはずなのに。
日本国民は反日分子であってはいけないかのようですね。日本国民という言語カテゴリーもこの場合妥当なのかとも思う。「国籍が日本国籍である人」とある意味(辞書のうえでは)同義なのかもしれませんが「国民」は(特に「日本国民」は)ある意図をのせられて使われる場合の「日本人」とニュアンスが重なってくる。

「好きなことを言うことができること」を利用して、言葉の流通をある方向に整流していこうとする力がはたらいている。顕在的に眼にみえるようになってきているように感じる。

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